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2017年7月3日月曜日

便乗投稿 わたしの獣医学部との思い出 

だいぶと前だったかの去年に、

見つけた!かな? 人気匿名ブログの先生(整形外科)


という記事を書いたのですが、それは、”脱サラ医者の日記”の先生のことでした。
最近は、ブログサイトが変わったのか、前より見つけやすい感じになっています。
この先生も興味深いキャリアを進んでおられるので(獣医学部→製薬会社→医学部→
医局医師→院長、すごい!)しばしばのぞいています。その先生が、
それに便乗した自分の話をしたくなり、記事にしております。

わたしは一時ですが、獣医学部を目指しておりました。かないませんでした。動物が嫌いだったのにです! でもならなくてよかったなぁと今を満足しています。高校3年の時、学校柄、当初医学部を目指し、人並みに勉強しておりました。今思うとやり方も悪かったのだと思うのですが、とにかく成績が全然思うように上がらず、しかもセンター試験で、大失敗をして、仕方なく(前期はその影響のないいつも国立大学にかぶしてくる大学を急きょ受験、当然失敗)、家族で獣医をしているものがいる、という理由だけで、H大に行くことにしました。

当時H大は、トップT大と同じで、学部としての入学がなかったのです。学部を決めるには、大学に入っていろいろ勉強してから進路を決めた方がいいなどという、一見正論っぽい、でもしようもない理由のため、一般教養時代の成績で決まるというとてつもない方針がまかり通っていました。 優が2点、良が1.5点、可が1点というように点数化されて
自分の希望を並べて申請し、上位者から希望のところにいけるという制度でした。 出席もとらない授業科目を出席しないのに、優なんてとれません。こうして私は獣医学部に行くことができませんでした。 でもそこそこ勉強し、だいたい100人換算でいえば上位20位くらいにいるのに、獣医希望は15位くらいに入らないとなれませんでした。おしい!!当時、少女漫画で”動物のお医者さん”とかいうのがあり、コツコツ勉強する女子が獣医を目指すという社会現象があり、その波をまともに喰らったのでした。

そんなこんなで学部移行する手続きもせずに、ふらふらして、学部長にしぼられて学部移行手続きをしました。その後、20歳になってもいないのにどんどん目標を下げていく自分がやっぱりやだったんですよね。それで、受け直すことにしたのです。

そうするとよくわからないのですが、大学の一般教養というのはたいてい高校の延長であることが多く、高校の内容が少し簡単に見えた気がしたこともあり、センター試験まで100日なかったのに成績も高校のときよりよく無事医学部にいくことになったのです。
(このとき学んだのは、方法が大事であること、先取り的方法はどのフェーズでも役に立つ、とかでしょうか?それともこれを失敗したら実家に戻らないといけないという窮地に追い込まれていたからでしょうか)

私の家族で獣医をしている方を見ていると、必ずしも万人が貧しい生活をしているわけではないと思いますが、やっぱり経営的センス、ランチェスター戦略を実践していたように
思います。今度、このランチェスターについて書こうかなと思います。










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